昭和46年12月19日 報徳祭前夜祭



 (ただ今?)先生方一緒に、お装束を着けております共励殿で、末永先生が、何時も前夜祭には、祓い主をなさいます。それで、先生今日はもう、あの壱岐の方で、祓いの言葉を書いて来たと。あれは何時もこっち来て用意しておく訳なんですけれども。そこで若先生も、それまだ出来てなかった、それでまぁ丁度おかげ頂いたわけでございますけれども。いやそれが今度の祓いの言葉は、海を渡ってきたんだというて、いうて笑った事でした。
 そのお祓いの言葉の中にも、おー、報徳祭とは言わずに、報徳大祭と読んでおられましたですね。確かに徳に報いる、大祭なのです。勿論二代金光様、三代金光様の御徳に報いる御大祭なのでございますけれども、私共が、報いるというというのはどういう風にして、報いるかとこれはね、別に、いー、これはもう年々歳々同じ事ですから、同じ形でお祭りを仕えるというだけではなくて、やはりお互いの信心が段々、それだけ大きくなり、又は深められて、えー、信心の喜びがそれだけ大きくなって、同時にまたおかげも大きくなっておるという事。
 そこ事を、このようにおかげを受けておるという、事が私は一番の報徳に、徳に報いるという事になると思うです。
 もう御霊の世界におられる四神様が、御霊様、三代金光様が、ね、お米をこんだ何表もろうたとか。お酒はどれだけもろうたといったようにして喜ばれるということじゃないと思うんです。
 ね、まぁそれが、内容となってお礼の、まぁお祭りというか、お徳に報いるというお祭りになるわけでございますけれども。
 私はあの、今度の報徳祭、何か知らん、いっちょ報徳祭、報徳祭いわんなりに、もう報徳祭の準備が出来たって、なんか迂闊な事なんですけれども、そのことを神様にお礼、お詫びをさせて頂いておりましたら、昨日の結婚式が、皆さんご承知でない方もございますけれども、大変有り難い結婚式が、まぁ本当に、まぁ有り難い結婚式でしたんですよ。
 もうあの、皆さんそれに、えー、合われた方達が、もう本当に有り難い結婚式に合わせて頂いてというて、まぁ改めて今日、お礼お届が、何人からもあったような、非常に確かに有り難い結婚式だったんです。
 おかげを頂きまして、そういう例えば、事が取り進められて来たという事。その、いうならば、私の場合この報徳祭の前に、結婚式がありますから、結婚式、結婚式というので、なんかその、報徳祭の方が少し弱められたような感じが、まぁ(なきにしまわらず?)でございましたけれども、そのことがお礼の対象になるのである。
 この度は、金光様来年は、えー、五年の式年祭を迎えさせて頂くに当たりまして、信者一同が、ね、一段となって、いわゆるここ西脇殿建立という話しになり。おかげを頂きまして、結婚式をさせて頂くところまで、進ませて頂きましたという事が、今度の報徳祭に対するところの、私はお礼の、まぁ対象にならなければならないと。
 今日、午後から、高島さんと綾部さんがお参りになって、今晩の前夜祭を頂き、頂いてて帰るといって、言っておられましたけれども、待ちくたびれたんでしょうか。おられませんようですけれども、もう私と同じような事を言っておられるんです。
 もう今度のお祭りはもう、迂闊にして、もう(内の方で?)がもう、まぁちょっとした修行があって、もう2日も3日もねらんなりに話し合いをせんならんとったような問題がありまして、もう本当に、まぁ心身共にへたへたに使えられておるというわけなんです。
 もうそのために、あーか、そこが痛い、ここが痛いといったような、えー、私今、御霊様へ、玉串を奉らせて頂いて、本当その、頭上げた途端にそのことをお礼を申し上げろという事を頂いたんです。
 ということは、どういう事かというと、報徳祭を迎えるただ、報徳祭が来たから、十二月の二十日がが報徳祭だから、報徳祭を仕えるというのではなくてです、それまでには神様がね、それぞれの例えば総代幹部、又は、には、例えばならお礼を求めておられるとか。又は修行を出来ておらんなら求められておるわけなのですよ。
 ですから、それまでに神様が修行も、修行、お祭り前にその修行させて頂いたという事をお礼申し上げたら良いのです。という事を、又改めて、私が昨日の結婚式を、今度のほう、という運びにならせて頂いた事を、そこをお礼をもうさせて頂くというのと同じように、ね、報徳祭、徳に報いるという事は、一修行させて頂いて、それだけの信心を深め、又は広め、高めさせてもらったそのことを、結構な修行させて頂いておかげを頂いて分かるとこ、分かるところを少しでも分かったという事が、お礼の対象になるんだということをね、頂きました。
 これは、昔繰り返し頂いたお話でございますけれども、福岡の吉木辰次郎先生が、ある記念祭を迎えられるにあたって、もうおそうまで、いわゆる前夜祭。そして明くる日のご大祭の、ご準備。丁度十月の事でございますから、あちらは十一月ですかね。
 ですから、あの、神饌室で、えー、松茸のお供えが沢山きとった。それで松の枝とか、松の葉を利用して、それに松をそっと植えるようにして、見事に松茸だけでお三方一台出来られた。
 そして、まぁ準備万端整うて、休もうと思うておったところが、お婆さんが達人辰二郎と(おばられる?)。ほれで行くと、そのなにか腰が痛いとか、足が痛いとかと仰るそうですから、ならしばらくもませて頂こうというて。ほれでまぁ、すやすや休まれたとこうじっと引くと、又こう向きをかえてされるから、とうとう一睡もせずに、明くる日の御大祭に、いわゆる記念祭になられたと。
 そして、そんな風で前の晩寝とられんませんもんですから、そっとこんなに御大祭を仕えられ、こんな( ? )ならんでしもうて、いわゆる(てなか?)が始まって、ほんと神饌が始まっておった。
 ところがです、先生の目の前を今通っておる、夕べ盛り付けたばかりの松茸がですね、もう先生の目の前にぱらぱらと崩れてしもうたち。はっと思うたら、自分が眠っておったち。お夢であった。ちょっと目を開けたら、昨日確かにさせて頂いたその松茸が、あー、はみご、立派にこうやって、先生の手から手に渡っておったというのであります。
 もうそれこそびっくりされて、えー、そういう事をお礼申させて頂いておられたらですね、このお祭りを奉仕するにあたって、ね、家で修行をさせておいたが分かったかと、神様が仰ったそうです。ね、今日のお祭りなら今日のお祭りにです、例えばあの松茸が崩れて落ちるようなご無礼お粗末が出来るようなところをです、夕べ、お前の修行の徳によって、今日は見事に、いわゆる(おそそう?)もなし、ご無礼もなしに、出来ておるが、その事が分かったかというお知らせを受けたという話をね、もうこりゃ何回も私先生からお話なんですけれども。
 お祭りを仕える奉仕をする、お供えをする、それだけの事じゃないのです。それを奉仕させて頂くという事にはね、そういう神様の、そのお祭りを境に、ね、やはり信心が一段と進めさせて頂いた。おかげを頂いたという事がね、神様の願っておられるところであり、又私共もそこんところを願わせて、大祭たんべんに、さぁ十月二十日がくれば秋の御大祭。十二月の二十日がくれば報徳祭。
 ただ何でもない、形の上に、それが、という事になったら、やはりいよいよ御大祭がマンネリになってしまうことだろうとこう思います。ね、当り前の事のようになって来る。そこに、果たして今度の報徳祭を迎え奉るにあたって、私はどれほどの修行が出来ておったであろうか、どれだけ信心が進んだであろうか、どれだけ御用が出来るように、信心が少しでも進展したであろうかというところをです、やはり確かめさせて頂くのが、大祭だという風に思わせて頂くですね。
 そういう意味で、えー、やはり銘々の上にも、そしてお礼を申し上げられる事。修行させられておった事等に、気付かせて頂いて改めて、( ? )頂きましたように、前夜祭とは、例えていうなら女の方達が明日(見本?)がない。髪を洗う、結い上げるために、今日はきれいにときながして、そしてきれいに洗って、明日はいよいよこう結い上げるという、その前提になるところの、お祭りが前夜祭といわれておりますね。
 あれもこれもが整いました。明日は、心晴れ晴れしゅう、有り難くお祭りに臨まれるという心の準備、勿論形の準備も、ようようそうそう怠りなく、出来させて頂く。そこんところに、前夜祭の意義があると思うのでございます。ご挨拶でした。

梶原 佳行